akiee piano blog

40代ピアノ愛好家の自作曲紹介、音楽ネタ。それ以外も。

シャッシャなのかシューなのか

疑問に思っていることがある。

絵を描くとき、小さい頃はシューッと迷いなく線を描く。ほら、猫ちゃんとか、ブーブーとか。

それが、小学校に入ると、いつのまにかシャッシャッと線を重ねて描くようになる。
この間、高学年の図工の授業をみていて、シャッシしている子が結構いて、いつそれを覚えたんだろうと思った。そういう指導があったのかな。でも、シューの子もいるんだよな…。

なんとなく、シャッシャのほうが上手に描けている雰囲気がするのだけど、シューの子もきっぱりしている感じでそれはそれでいい気もする。

私は算数の授業のように答えが明確な科目は、理解が難しそうにしている子や、集中して授業を受けられない子とかに対して補助に入ったりするのだが、図工については、例えばそこに担任が不在とかなにか理由がある場合に行ったりする。
何もアドバイスできないので、上手だねとか頑張ってるねとかくらいしか言えない。
絵を描いている様子は、普段の勉強のそれとはまた違ったり、描くものに好きが反映されていたり、逆に苦手とするところもみえたりもするから、その子に対する新たな印象が加わったりする。図工の作品はできあがっていようがいまいが、みていて面白いし、その子を知るヒントにもなる。

で、シャッシャとシューの両パターンを目にして、ひとはいつからシャッシャを覚えるのだろうかと疑問がわいた。

うちの娘も、勉強していると思いきや、イラストを描いていることがある。どっちなんだろう?

ねえ、シャッシャっていつから描くようになるの?
学校で教わるの?と聞いてみたら、

教わってないよ。いつからか覚えてない。
シャッシャは下書きのときにぼんやり描くためかな。私はあんまり、シャッシャはしない方だよ。と答えてくれた。

そうか、うん。君はシュー派か。
私はどっちなんだ。考えるとわからなくなる。
自分の利き足がどっちなのか、気にし出すとわからなくなるみたいに。
試しに目の前のペットボトル加湿器をなるべく自然体のつもりで描いてみた。
基本シュー、ところによりシャッシャだった。

デッサンを真剣にやればわかるようになるのかな?

大人とは思えない素朴な疑問だけれど、見栄を張らずに、小学生目線で、投げかけてみる…。

あふれる土産話 ~奈良・京都~

このあいだ、中学生のわが子が2泊3日で修学旅行で奈良、京都へ行ってきた。

初日はクラス別行動で、薬師寺平等院東大寺薬師寺でのお坊さんの説法が参加型でおもしろく、東大寺ではもちろん、鹿煎餅を鹿さんたちにあげたそう。フンフンいってて可愛かったそうな。もうないよのサインは両手を広げて挙げるときいて、やってみたら本当に立ち去って行ったそうな。はしゃいでいる中学生たちが目に浮かぶ。

何度も手直しされた班別行動の計画書の遂行となる2日めは公共バスを乗り継いでの移動。
三十三間堂清水寺錦市場晴明神社、二条城などを回る。
実際、行ってみたら歩いて移動できる距離の所もあったそう。
錦市場では食べ歩きを満喫したそう。トマトがとっても甘くて美味しかったそう。もちろん名物だという卵焼きも食べて、のみ歩き仕様の冷茶も買って、かなり満喫できた様子。羨ましい、ワタシはそこへ行ったことないぞ。

3日めはタクシー観光!
銀閣寺周辺を回ってきたそうな。その銀閣寺がめちゃくちゃ綺麗だったというのが、土産話の第一声だったので、よっぽど心に残ったのだろうな。建物も庭も背景もいい感じだったそうな。
この周遊では、丸益西村屋というお店で友禅染体験をしたそうで、うさぎ柄を施したポーチを持ち帰ってきた。グラデーションが上手と誉められたそうな。
昼食は計画していたお店が混んでいて困っていたところ、運転手さんが有名なお蕎麦さんを教えてくれたそうで、そこで食べたキツネそばがこちらで食べるのとは揚げも違うし、ダシも旨いし、葱はたっぷりだし、七味も食べたことがないような美味しさだったそう。どんなだろう、いいなぁ。

宿での食事を含めて、京野菜がおいしかった!!を何度も織り込んできたので、よっぽどだったのだろうな。

3日間、連絡を取り合わない状況は初めてだった。というのも、旅行へは、個人携帯は持っていかないことになっていたからだ。
その点、ワタシの頃は、宿から公衆電話で、着いたよーって、電話をかけた覚えがある。

だけども、その代わり、三日間、毎日、朝と夕方に学校から様子を伝える一斉メールが送信されてきた。内容は、天気だとか、みんな元気とか、少々お疲れ気味とか、簡単なことだけれど、ちょっとした情報がわかるだけでも、やっぱり嬉しいもの。生徒が読んだおもしろい句ものっていて、楽しんでる様子が伝わってきた。
それを肴にワタシタチはラーメンを食べに行ったのだった。

3日めの夕方、駅まで迎えに行くと、友達もいたからか、おもしろかった、疲れたくらいしか言わなかったけれど、車に乗り込むと土産話が溢れだした。
おかえりメニューはカレーだよというと、今日の昼、カレーうどん食べ損ねたから、ちょうどいい!
と喜んでいた。あるよね、こおいうグッドタイミング。ミリ単位の小さな奇跡。

また京都へ行きたいというので、落ち着いたら、いつか旅行しようと約束した。
できれば、社会人になってから、ワタシを連れていってくれたらなと内心思っているのでありました。

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生菓子。水面の輝き。

なんだかむやみやたらと歌いたい

ここのところ、自分の言葉を思いっきり発する機会が少ない。
気を遣ったり、慮ったりすることが多い。
胸の真ん中あたりに、なにか、モヤモヤした球体があるような感じ。
それをポーンと口から出したい。

歌がいい。
ならカラオケに行けばと言われればそれまでだが、
何を隠そうカラオケはあまり好きじゃない。
演奏の音量とエコーが効いたマイクが好きになれない。
飲み会は基本楽しめるが2次回のカラオケは御免被りたい。
ワタシの歌声はとってもか細いのだ。
アイドル時代の菊池桃子さんのイメージに近い。
マイクまで両手で包み込むように持ってしまいがち。

話声では大きな声を出せるのに、唄うと途端にか細くなる。音程は取れるのだけれども、演奏の音量に負けて、マイク入ってる?と聞かれる度にやっぱりカラオケ嫌いと思う。そして、レパートリーがとっても少ない。
きっちり頭に入っているのは、小学生の頃に聞いた80年代のアイドルソングくらいだ。

学生時代は音楽サークルに入っていたから、生ギターを弾いている横でよく歌をうたった。
ワタシはそれがとっても好きだった。
フォークソング世代ではないけれど、なごり雪とか、当時流行っていたのではプライドとか歌っていた。
もちろん、ただの遊びだけれど。

サークルは軽音系ではなかったものの、当時の仲間がバンドを組んでいて、といっても年に一度、スタジオに集まって音を鳴らすだけのライブをやらないバンドだけれど、2年前、それにおいでよと呼ばれて行った。
もちろん、ワタシはキーボード。コード弾きが少しはできるようになって、その場でまぁまぁ合わせられた。繰り返しや間奏でわからなくなったけど。

雑多なコピーバンドで、フォーク、ポップス、ロック、皆が好きなのを持ちよって鳴らす。一人、音楽系の仕事をしている先輩がバンド譜を書いていて、原譜を簡単なコードに直したりして、思っているよりまとまっているし、あなたいつドラム覚えたの?という後輩がいたり、オレだぜボーカルも健在で、カラオケは嫌だけど、自分たちで作る電気を通した大きい音はなんか気持ちいいと思った。
その中で渡瀬川がレパートリーにあったのだけど、
それはボーカルをとってと言われた。
ハッキリとメロディーがわからないながら、歌ってみたら、苦手なマイクなのに歌いやすかった。
そうか、キーボードを弾いているからだ。
自分で音を取っているし、マイクを持ってない。
よくわからないけど、とっても歌い易いと感じる体勢。
それ以来、渡瀬川を何気に練習しているんだと春に皆で飲んだ時に話すと、俺たちもあれ以来集まってないから、よし、またやろうぜ!となった。目標を夏に設定して。

それまで、まだ間がある。
歌いたい。
生ギターで演奏しくれるカラオケがあったらいいのにな。

今更ながら自己紹介。

今更ながら、少し自己紹介をします。

ワタシは40代半ばのいち女性です。
既婚で中学生の子供が一人います。

教育現場で非常勤として働いています。
趣味はピアノ。
タイトルにしたのは、きっかけがピアノの自作譜を紹介したのが始まりだからです。
最近はちっとも取り組んでいません。スマホを買い換えて動画が撮れるようになったら、アップしたいな~と思ってます。

大勢の子供と関わるなかで、人懐っこい子供たちとは、あっという間に仲良くなれたけれども、関わり方に悩む子も多くて、それに対して足りてないことばかり。それでも、少しの進歩の兆しが、気のせいかもしれないけれど感じられてはいます。ほんと、少しだけど。

先生方との関わりはなかなか。好意的な方からそうではない方まで。そうではない方はワタシがそうさせているんだろうなと思って萎縮しています。前任の人と比べて劣るであろうワタシに憤りを感じているのを痛感する日々です。
それを浴びて落ち込んでますが、明らかにワタシの落ち度。
忙しい先生方の負担になったら本末転倒なので、
何に注意を払うのかを忘れかけてしまったこの頃、また見直さなきゃと思った先週でした。
そしてまた、励ましてくれる先生もいるので、月曜から、めげずに日々を積んでいこう、いこうと繰り返したりしてます。

励みはやっぱり、akieeせんせい!と声をかけてくれる子が増えてきて、また、ちょっとした心の声を聞かせてくれる子もでてきたりして、いるんだぞと認識されてきたこと。学年を終えるまで、卒業を迎えるまで見送れたらなと思っています。

リフレッシュがここのところ上手く図れなくて、ただ、ずるずると家事をこなして休日が終わります。今日もまた。

気持ちを切り替える午後にしたいな…。

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目指すはワトソン?でいいのかな。

ウエディングドレスにうっとり

またひとつ新たなロイヤルウエディングをみた日曜日。

お天気で良かったですよね。
イギリスは晴天率高いのかな?
これが雨だと大分様子が違くなっちゃいますよね。

一番の楽しみはもちろん、ウエディングドレス。誰しもがそうですよね。
車から降りる瞬間、見逃さないぞと釘付けでした。
花嫁が現れる前の参列者のお召し物も、色それぞれ、形も上品。さすがの洗練。ドレスの西洋文化

メーガン妃のウエディングドレス、シンプルでしたね。華美にならずにという姿勢の表れなのかな。すんなりとしたデザインで日の光に白いドレスが輝いてみえました。

毎回、どんなでも素敵って思うのですけどね。
キャサリン妃のエレガントな袖のレース使い、なのに自然体な雰囲気のドレス姿も素敵だったし、ダイアナ妃の時は初めてみたロイヤルウエディングで、ボリュームたっぷりのアイボリーのドレス、物凄く長いベールに子供の頃みとれたのをよく覚えています。

ウエディングドレスが格別に楽しみなのは、やっぱり、元女の子だからなのかな。
フワッとしたドレス、Aラインのドレス、タイトなドレス、どれにもときめいてしまいます。
ちなみにワタシはAラインを選びました。15年以上前の話です。

これからまた、新たなプリンセスの公務のスーツスタイル、ワンピーススタイルを拝見するのも楽しみ。洗練されたファッションの画像はついつい見てしまいます。

外国のロイヤルな方々が好む、シンプルで軽やかなワンピースって素敵だなって思うけど、風でめくれちゃうとか結構ありますよね。
反して、日本のロイヤルスタイルはタイトスタイルが多い。
そのところの配慮をするかしないかもお国柄なのかな。

個人的には裏地のない軽いデザインが着心地が良く好きです。市販のものは、裏地つきが多いので、ネットでそうでないものを探したりしています。
十分過ぎるほどいい大人なので、周りを冷や冷やさせないように気を付けますけどね。

ロイヤルウエディングの話題だった。


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東武ワールドスクウェアで撮ったロイヤルウエディング

一週間はじまる。てみじかに朝の誓いを。

月曜ですね。こちらはいいお天気。

今日からまた積み重ね。

ここのところを例えるなら、毎日、少しずつ、積み木を積んでは崩れて、それでも一週間単位でみれば、先週よりは積めてるよって日々です。

一年後、並べてみればこんなに違う!ってことになるのを目標に。

さてさて、仕度したく。

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チーズ積んでみたよ。ごめん、2つだけね。
おイモあげるから勘弁してね。

母に似た人。

私の母は自分の世界を子供いろに染めるつもりは全くない人だった。甘えた記憶も殆どない。でも、働きに行く、食べさせる、進学させる。これを叶えてくれたことには、とても感謝している。
相談事をすれば、あんたの思うようにしたらとしか言わない人だった。贅沢かもしれないが、将来を迷っているとき、偏った考えでもいいから、母の信条というか、指針といいうか、そういうものを言ってほしかったと思ってしまう。離婚によって幼い頃から父という存在がなかったことで、何か、強力なパワーみたいなものに憧れて、もし、父親がいたら私はどんなだったんだろうと想像してしまう。今でも。
厳格だったり、愉快だったり、それを体験したかった。

父親の理想像が空想でしかないので、夫の子供との関わりをみると、こんなのでいいのかと思ってしまう。やはり、私の母と同じで、仕事仕事。そして、より疲弊していて、頭のなかに家族のことはどのくらいの配分で存在しているのだろうかと思ってしまう。愉快な考えさえ忘れ去ってしまったんじゃないかと。

子供のことに関しては私の一人相撲。今風に言うならワンオペ育児。保育園に通っている年頃のときは、特にその感覚があった。

今だって、仕事から帰宅をすると、ご飯ができるまで寝る、ご飯食べる、テレビ、お風呂。で一日を終わらせる。話しかけても反応がうすい。

母親のように面倒をみる。夫は居心地がいいかもしれない。安心して、休みの大半を寝て過ごせるのかもしれない。せめて、思いみたいなものを感じられたら。指針のようなもの、信条なようなもの、それを感じられたら。能動的に関わってくれたなら。
母に言えずに欲していたものを、また夫に欲している。

夫は疲弊しすぎて愉快な感情や誰かの為に思いを巡らせる感情を失ってしまったのかもしれない。それとも安心しきっているのだろうか。
言わなければ何をしても気付かなそうだ。

甘えられているというよりは、丸投げされている感覚の大人の世話が煩わしいと、時々思ってしまうのは、もしかすると、私自身が疲弊して、優しい感情を呼び起こせなくなっているのだろうか。まるで母のように。

お互い様なのかもしれない。
文字にしてみてそう思った。


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なんだか、カーペンターズを聴きたい気分。
I need to be in love 青春の輝き