akiee piano blog

40代ピアノ愛好家の自作曲紹介、音楽ネタ。それ以外も。

ヤンチャな彼女

このあいだ、マツコデラックスが出ている番組で、ヤンキー全盛期を振り返る企画をやっていた。

そうそう、中学生の頃、凄かったね。

私は平凡だったから、わかる話よりも初耳なことが
多かったけれど、なんだか昔を思い出した。

私が入学した中学は、小学校3校から集まって編成されていて、中一のクラスは知っている人が誰もいなかった。
でも、あっという間にみんな仲良くなって、色んな組合わせで遊べるとてもいいクラスになった。
そのなかに、一人とってもグラマーで大人っぽい子がいて、彼女も仲のよい子の一人だった。

ちょっと悪っぽいこともいうし、スカートも長いが、朗らかで、楽しい子だった。何故か私のことを可愛いねとよく言ってくれた。

家に遊びにいったり、泊まったりもした。
お邪魔して、ご家族みなヤンチャ風で、ちょっとびっくりしたけど、だからって、何も変わらなかった。
朝御飯の目玉焼きのせご飯、美味しかった。
目玉焼きはもちろん家で食べていたけど、ご飯にのせて食べたことがなかったから、とろけた黄身と醤油がご飯に回って美味しくて、夢中で食べた。お母さんはとっても笑顔だった。

お祭りがあると、彼女は神輿を担ぐのだけど、その時も、ヤンさんなのねということを実感したが、とってもかっこよくて、ソイヤソイヤ男さんと、どっこいこーりゃ女さんの中でも、一層輝いてみえた。
私をみつけると、ありがとー!と飛んで来てくれて、あとで、屋台いこーねと行って神輿に戻っていった。
屋台にいけば、お知り合いがいっぱい。そのやり取りがなんだか粋でウキウキした。

かっこいい彼女の仲良しでありながら、私は全く素朴で真似ようともしなかった。
もしかしたら、そんなところが好かれていたのかもと思う。

私はそこの中学を離れなければならなくなった。
彼女は手紙をくれて、別れを惜しくでくれた。

新しい中学に入ると、本格的なヤンキーグループがあった。
しばらくすると、スケバンさんたちがやってきて、
あんた、○○中から来たんだって?じゃあ、アイツ知ってる? と、彼女の名前を出してきた。

そのとき、余所の中学にまで名を轟かせるほどだったのかと驚いた。

私は言った。

知ってるけど、同じクラスになったこともないし、話したこともない。

スケバンさんは、そうか、と帰っていった。

嘘がばれなくて良かったと思った。

新しい中学は、部活が鬼のように忙しく、まとまな休みはお正月しかなくて、ちっとも遊べなくなってしまったが、そこで、だいぶ根性がついた。

緩い部活で、友達と遊ぶのがメインだった前の中学も恋しくなったけど、あまりの過酷さにそんな感情もだんだんと失っていった。

こちらのヤンチャな子たちは、グループだし、存在感はあったけれど、その活動で迷惑被ることはなかった。

接点もほぼなかったけど、あるとすれば、私は保健委員をしていたので、衛生週間はクラスメートの爪をみて、チェックシートで◎○△Xをつけるのだが、スケバンさんの爪をみて、長い…Xとつけると、ごめん、今度は切ってくるから△にしてと言ってきたり、ヤンチャボーイのとこにいって、切ってきたね◎とつけると、やり!と喜んで、無邪気だなと思った。

彼らは本格的なワルを校外でしていて、どこか更生施設に送られてしまったり(噂)、転校してしまったりと段々と散り散りになっていった。
クラスメートのヤンくんが立ち去る日、母さんと職員室に挨拶をして、正門から出ていくところを、みんなして、ベランダから元気でねー、頑張れよーと手を振った。

高校に入ると、もう周りにはそんな雰囲気の人はいなかった。
そこにいた目立つ人たちはギャルの走りだった。
次の時代への過渡期に入っていた。



お祭りの彼女

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